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割っとは?/ キャッシュワン

[ 275] 「腹を割って話す」の思い出
[引用サイト]  http://deztec.jp/design/07/03/10_education.html

塾でこういう問題を小学生にやらせてみると、これはもう壊滅的にできません。「手が折れた」だの、「顔を割って話し合おう」だの、おそろしい文章を作りますよ、やつらは。おまけに、慣用句を知らないだけならまだしも、「そんな(『骨が折れる』とか『顔が広い』とか)言い方誰もしないよ!」と文句を言う子がかなりいます。誰もって誰だよ、アンタのクラスの小学生連中か? 小学生はしなくてもおとなはこういう言い方するんだよ。幼稚な表現力の人ばっかりに囲まれて「これが当たり前」と思い込んでいたら、アンタの言語表現は一生幼稚なままだよ! 表現の幅が狭いままだと、将来メールで人を口説くことも、入社試験で面接官に「この人を採ろう」と思ってもらうこともできないよ!……と叱ってがっつり覚えさせるんですけどね。
みやきちさんの勤務先は進学塾なんでしょうね。受験に参加するということは、希望して選別の対象となることだから、文句は合格してからいいなさい、ということになる。私がかつて関わったのは個別指導型の補習塾だった。みやきちさんも、そうした場では、別の感想を持ち、別の方法論を採用されたに違いない。
補習塾の先生に求められるのは、難しい問題を解けること、それを教えられることではない。だから中堅高校卒業くらいの学力で、小中学生は教えられる。時給900円程度のアルバイトで講師が間に合ってしまうわけだけれど、その代わり、他に求められていることがあったように思う。
国語の苦手な子は、当然ながら教科書が読めない。国語に限らない。算数も理科も社会科も、全部読めない。だからお勉強がつまらない。学校の授業は寝ているという。それでも、塾には来る。「どうして?」「だって塾の先生なら、少しは頭をよくしてくれると思うから」強烈だった。
個別指導塾というのは、1人の先生が2人くらいの生徒を同時に教える、集団塾と家庭教師の中間のような指導形態だ。しかし本当に手のかかる子に対しては、1対1のシフトを室長が独断で組むことがある。本来は追加料金なのだが、講師の手配の都合ということにするのである。
指導マニュアル通りにテキストを進めるわけだが、前述の通り、まず問題文が読めない。だから問題文の音読から、授業は始まる。「といいち、つぎのぼうせんぶのよみがなをかっこにかきなさい。はい、繰り返して声に出してみよう」「といいち、つぎの……なんだっけ」「ぼうせんぶ」「あの、せんせい、いいかな」「いいよ、いってごらん」「でも、おこらないでね」「わかった、絶対に怒らない。約束する」「ばかにしないでね」「ばかになんてするものか。ぼくは決して君をばかにしたりはしない」「ほんとに?」「お願いします、信じてください」頭を下げた。「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ」「うん」「じゃあ、あのね……ぼうせんぶって、なに?」
この子は、中学3年になるまで、ずっとこの疑問を口にすることができなかったのだ。学校の定期試験で10点前後の成績なのも当然だった。しかしその子が、10年近い学業成績の低空飛行の中でなおも希望を失わず、塾にきちんと通ってくる。ちょっとうまくいかないだけで自分には向いていないと思って放り出す俺は何なんだ、と思った。この子は学問の神様だ、軽々に扱っては不敬になると感じた。
過去に何度か先生をチェンジした子と聞いていて、最初に「冬期講習で**君の国語を頼む」といわれたときは、わがままな生徒は嫌だなあと思っていた。でも違うんだな。たしかにこの子は非常に物覚えが悪い。同じ漢字を毎日覚え、毎日忘れていく。宿題だってやってこない。それで、この子が「頭をよくしてくれる」と信じた先生たちはさじを投げ、当人の前ではいわないが、他の場所でばかにしたようなことをいう。
塾の中にも友だちの多い子だ、地獄耳なのである。本当に愚かなのはどっちだ。担当を外されて「なぜだ?」と不思議がっている講師の方に決まっている。「また理由はダンマリだってさ。困るよな」裏切りの事実を室長に話さないのは武士の情けだと気付かない。恐ろしい話だ。
「ぼうせんぶというのは、漢字では傍線部と書く。傍は「かたわら」とも読む漢字で、そばにいる、ちかくにいる、みたいな意味なんだ。線は……(鉛筆で線を引く)……こういう線のこと。部は部分ね。だから傍線部とは、近くに線が引かれている部分という意味なんだろう、と予想できる」「つまりここだね」「仰る通りです」「ほんとはさいしょからこれのことじゃないかとおもっていたんだ。でもなんでこれがぼうせんぶなのか、わからなかったんだよ」ビギナーズラックか、私の説明の仕方に興味を持ってくれたようだった。
私が「思い出がある」と書いたのは、「腹を割って話す」を教えたことがあるからだ。それはこんな風だった。
「せんせ、はらっておなかのことだっていったね。なんで「はらをわってはなす」がほんねではなすといういみになるの?」
「うーん、そうだな、お寺に行くと仏像が置かれているのは知っているよね。奈良の大仏さんも東大寺というお寺の中にある。で、大きな仏像は、たいてい中は空洞になっていて、物を入れることができたりもするんだ。何を入れてもいいのかもしれないけれど、よく入っているのがお経でね、観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時とか、お葬式でお坊さんが読み上げるの、あれがお経ね。仏教の大切な教えらしいけどふつうの日本人が読んでも何だかよくわからない。このお経、仏像のどこに入ってると思う?」
「残念、お腹の辺りらしいよ。だから胎内経とか胎蔵経と呼ばれる。胎内というのは漢字で書くとこうなって、赤ちゃんが生まれてくるところね。お腹の中のこと。生まれる前の赤ちゃんのことは胎児と書くのだけれど、ほら、同じ胎という字が使われているね。胎蔵というのは、蔵はくらとも読んで、大切なものをしまっておく倉庫のこと。お腹の大切な倉庫にしまっておくお経だから胎蔵経」
「どうやら昔の日本人は、大切なことはお腹で考えると思ってたみたいだね。例えば腹構えという言葉がある。こんなことが起きるかもしれない、と思って心の準備をしておくこと。頭構えじゃなくて、腹構えという。腹癒せという言葉は聞いたことがあるかな? ムシャクシャしてはらいせに放火した、とかね。自分が何か嫌な目にあったとき、他人に嫌なことをするとスッキリするという、人間のダメなところをあらわした言葉だね。ここでも腹が出てくる。はらいせの「いせ」は癒すと同じ漢字を使って腹癒せと書くのだけれど、お腹が癒されるというんだね。スッキリするのは頭じゃないかと現代人は考える。でも昔の人の場合は、お腹なんだ」
「そうそう! 頭が立つっていわないんだね。腹が立つ、という。怒ったぞ、という意味だね。ちなみに腹が太いといえば度量が広い、人間が大きい、度胸が据わって思い切りがよい、といった意味になるし、腹に持つといえば根に持つ、いつまでも恨み続ける。腹に収めるとなると意味が変わって、気持ちを飲み込んで表に出さないこと。持ったものは手放すことがあっても、収めたものはそれきりという違いがあるのかもしれない」
「立つの反対の座る、だったら、ないんだ。違う漢字の腹が据わるならあって、心が定まって、気持ちが揺れない状態をいう。腹が据わった人、というと、臆病の反対、肝っ玉が太い人、みたいな意味だね。この「据」という字は、据え付けるといった言葉でよく使われていて、どこかに置いて固定する、みたいな意味。お腹、つまり考えを固定するから、腹を据える、となるのだろうね。さて、腹を割って話す、なんだけどね」
「腹に一物、という言葉がある。お腹に一つの物がありますよ、これが、何かたくらんでいる、という意味。お腹の中のものは、ふつう、見えないわけだ。だから、何かあるぞ、と思っても、見えないとそれは悪い方に想像されたりしちゃうのだろうね。だから、お腹を割って中のものを見せたら、相手は安心するだろう。あと、お腹の肉で隠さずに直接見せちゃうわけだから、本音を見せるということだね。というわけで、腹を割って話す、が本音で話すといった意味になるわけだ」
「あるかもしれないね。ヨーロッパ人は王様とか貴族とか偉い人でも首を切って処刑したんだね。日本だと誇り高い死に方を認められ人は、お腹を切った。実際にはお腹を切ったって、簡単には死ねない。だから結局、お腹をちょっとだけ自分で切ったら、介錯人という人が首を切って本当に死なせる。自殺すればいいなら、自分で首の動脈を切ったらいい。じゃあなぜお腹なのか。やっぱりお腹が大切な場所で、自分を殺すというのは、お腹を切ることだったんじゃないかな。実際に命を絶つなら頭が問題だって、みなわかってた。わかってたけど、ほら、今の人でも頭より心が大切だ、っていうじゃない。で、心は胸にあると思ってる。ちょうどそんな感じで、頭より大切な何かがお腹にあると思っていたのだろうね」
「そうなんだよ! 腹を割って話す、という言葉の中には、日本人が考えてきたことがたくさん詰まっているんだ」
思い付きを話しただけなので、非常にいい加減な内容だと思う。胎内経も切腹もこじつけだ。でも、この授業は非常に食い付きがよかった。私のことを大嫌いな生徒もいたし、単なる相性の問題かもしれないが。
驚いたのは、冬期講習の最終日に( )が黒い/痛くもない( )を探られる/( )を読むの3つのカッコに共通して入る漢字を選びなさい、という問題に見事正解したこと。こんなの、腹が考えや気持ちを表す言葉だと知っていたって難しいでしょう。でも、解けちゃった。さすが学問の神様だ。人を見限る悪癖のある私にガツンと一撃を加えたのだった。「お見逸れしました」深く頭を垂れた。
個人的に、**ができたら幸せになれる、という言い方は避けたいと思っていた。なぜなら、やっぱり全員がテストで満点を取れるようにはならないからだ(一撃を食らっても全然改心していない)。トップクラスへの展望がない、底辺で悩む子どもに功利主義で勉強の意義を説くのは、残酷ではないか。彼らはその果実のほとんどを手にできないのだ。向学心を最後まで支えるのは、学ぶこと、それ自体の魅力なのだと私は信じる。
いま子どもたちが表に出している感情は様々であろう。しかし本当に授業に絶望しているなら、この子はここにいない。宿題をやってこない? 筆箱をしょっちゅう忘れる? だから何だというのだ。生徒が教室に来たら、あとは教師の仕事だ。授業が面白ければ勉強の道具は忘れにくくなる。「しまった、やすみじかんにえんぴつをけずりわすれたー!」本気で悔しがるのだ。黙って鉛筆削りを貸す。
水素を燃やして「これが水爆の原理です」といってる理科教師がふつうに存在する状況さえ、私は許容しています。その程度の科学的知識の欠如は、小中学校で理科を教える者として致命的でないと考えるからです。漢字を書けない国語教師、47都道府県がいえない社会科教師、いろいろいましたが、みないい先生でした。
彼らは優秀な子をいっそう高いレベルへ引き上げるには不適な教師かもしれないが、いい加減であるなりに、多くの子どもを善導してきたと思う。もちろん水爆の原理と水素の燃焼は全く別の事象だと知っているべきで、漢字も知識はあった方がよく、47都道府県くらいいえないのは恥ずかしい。でも、瑣末なことだと思う。
1対1で向き合って1日に90分ばかり全力投球するだけで私はヘトヘトだった。先生方は、毎日200人以上の生徒と6時間も対峙していた。それぞれの担当教科に興味を持たせ、相当その科目を苦手とする生徒にも試験前に「捨て科目」扱いをさせなかった(例外はあったろうが……)。超人的な働きだったと思う。

 

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