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属しとは?/ キャッシュワン

[ 365] 栃木県足尾町はなぜ栃木県に属しているのか?
[引用サイト]  http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=24

栃木県足尾町は、渡良瀬川の上流を占めますが、中流域が群馬県に属する渡良瀬川流域にあって足尾町は栃木県になっています。足尾町の歴史や生活圏などから、この疑問について読み解きます。
にもかかわらず上野の「群馬県」に属していたなら,県勢(権勢?)が云々されることがあるかもしれませんが(でも,こんなことはまずありません),栃木県なら至極当たり前の話です。
もっとも江戸時代初めの慶長年間に銅山の開発が始まるまではほとんど何もない“ただの山奥”だから,ここだけわざわざ「下野」というのはやはり少し奇妙ですね。
1つ考えられるのは,毛野国を分割するにあたって,金精峠−白根山−皇海山という“わかりやすい分水界”が使われているけれども,渡良瀬川が平野に出てくる桐生周辺(勢多郡・山田郡)は,利根川流域と地域的に一体であるので「上野」の方に属することになった。けれども渡良瀬川最上流の足尾地域は,さっきの分水界の東側に当たるし,桐生方面とのつながりは弱そうだから,「都賀郡」で,結果として「下野」になった。
江戸時代を通して足尾は幕府直轄領でした。1つは,同じく都賀郡に属する日光の裏山であるということ,もう1つは銅山開発のためでしょう。
1912年に足尾線が開通するまで,足尾の銅は日足峠を越えて日光から運び出すのが“順路”でした。渡良瀬川は鉱毒を垂れ流すことはできても,銅を運び出すのは無理だったのでしょう。
かつて,日光駅から“いろは坂”下の馬返まで走っていた路面電車の最も基本的な役割は,日足峠を越えて運ばれ清滝の精錬所で生産された銅を日光駅まで運び出すことにありました。
足尾線ルートがメインになればこの路面電車は不要となり廃止されてしまいます。自動車渋滞でニッチもサッチも行かなくなるのは,はるか後のことですね。
古くは細尾峠(日足トンネル)ルートではなく,粕尾峠を越えて粟野町方面へぬけるルートの方がメインだったのだと思われます(ところで,粟野町は上都賀郡の所属です。したがって,粟野町の一部または全部も安蘇郡に所属していたと思われます)。
江戸時代,銅山は幕府の直轄領でしたが,他の区域は引き続き日光山領。幕府の機構としては寺社奉行支配となるのでしょうが,いずれにせよ幕府の解体によってともに「日光県」管内となりました。
銅山の開発とともに,幕府は渡良瀬川沿いに銅を運び出すための陸路を整備しています。大間々からは渡良瀬川の水運を利用して江戸へ運び出す。
佐渡の金を運び出すために整備された北国街道や三国街道ほどではないにしても,それなりに賑わったようです。
足尾銅山は江戸時代半ば以降いったん衰微するのですが,明治の初めに古河市兵衛の買収するところとなり,新式の技術が導入されて大鉱山に発展しました。
“フル規格”鉄道としての足尾線が開通するのは1912年のことですが,それに先立ち馬車鉄道が渡良瀬川沿いに敷設されています。
つまり,大間々ルートと日光ルートの2本立てだったわけですが,古河グループ自体としてはアイスホッケーチームがそうであったように日光との結びつきが強そうですね。
足尾町のことですが、この町の市外局番は、10年位前(定かではありません)まで桐生市の含まれる地域と同じ「0277」でした。現在は日光市などともに、市外局番「0288」に属しています。足尾町がなぜ最近まで市外局番0277だったのかは分かりません。でも、この事実も、足尾町が桐生市など群馬県側ではなく、日光市など栃木県側とより強い関係にある事がうかがえますね。
しかし、足尾鉱毒問題については話は別で、渡良瀬川流域の群馬県の多くの地域も甚大な被害を被りました。また、銅の精錬から発生したばい煙は、銅山周辺の豊かな森を破壊しました。現在でも多くの地域がはげ山のままで、植林の努力が続けられています。足尾は、群馬県民にとっては、忘れ得ない土地であるといえます。
詳しいことはよくはわかりませんが,「日光」という地名の知名度を考えると,新しい市の市役所は今市周辺,市名は日光と言うことになるのではないでしょうか。そういう例はかなりあるようにも思います。
足尾町の住民の生活圏は鹿沼市ではなく,日光市なのでしょうか。また塩谷町の市町村合併におけるスタンスはどうなっているのでしょうか。
足尾町の生活圏などについては、落書き帳アーカイブズ内、「栃木県足尾町はなぜ栃木県に属しているのか?」の中にいろいろヒントがありますよ。
足尾町の生活圏ですが、基本的には日光市を指向するものと思います。ただ、最近粟野町を介して鹿沼市方面に抜ける県道鹿沼足尾線の整備が進んでおり、鹿沼や宇都宮方面に移動する場合は、こちらを通ることも多いようです。
また、群馬県方面ですが、かつては国鉄(後、JR)足尾線、現在のわたらせ渓谷鐵道や国道122号線を介した方向への移動は、群馬県の実施した買物動向調査などからするとそれなりにあったようです。しかし、現在では、高付加価値商品の買物では宇都宮市を指向する傾向が急速に伸びているようで、群馬県側とのつながりは相対的に弱くなっているようですね。この事実も、県道鹿沼足尾線を通過する人口が少なくないのではないかと私が推測する要因の1つです。
しかし、足尾町は、「足尾鉱毒事件」の舞台であり、群馬県東毛地域や栃木県の足利・佐野・下都賀地域にとっては、忘れ得ぬ土地ですね。
また、塩谷町のスタンスに関しましては、今のところ、”複数市町村による研究会”は組織されておらず、町職員が市町村合併の効果や課題等について研究を行う庁内組織を設けている程度です。栃木県市町村合併推進要綱によりますと、いろいろパターンはあるようですが、東隣の矢板市との合併パターンに入っているようですね。

 

[ 366] ひとつのインターフェースが複数のIPネットワークに属していけない理由は何もない - JJ1BDX: life in Japan
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/jj1bdx/20080228/1204198866

仮に上記の内容を,以下の引用の記事を書いた人が理解していなかったとしたら,それはIPネットワークのプロトコルスタックの理解をできていない,ということに等しい.
「ポリシーテーブル」でもいいし,ソースアドレスをどのアドレスへbind()するかでもいいのだが,複数のネットワークに同時に属することは異常でもなんでもなく,すでにIPv4の時代から普遍的に行われている運用方法である.属しているネットワークの数がいくつであれ,それぞれのネットワークのアドレス空間を決めて,その空間に属するルータを明示的に与えてやれば混乱は起こらない.確かにもっとも細かいネットワークに一致するという原則はあるが,アドレスの階層管理さえされていれば,どれにも一致しなかった場合のデフォルト経路の処理を誤らなければ問題は起こさずにすむ*3.
ひとつのインターフェース*4が,2つ以上のIPネットワークに属していてはいけないという規則はない以上,仮にNGNの閉域網とグローバルな接続性を持つIPv6のプレフィクスと両方が割り当てられているホストがあっても,技術的には不思議でもなんでもない.それで閉域網とグローバルな接続性を持つ網との両方に接続できていなければ,何らかの経路制御上の問題が発生していると考えるべきだろう.
また,仮に何らかの理由*5で直接マルチプレフィクスを使った運用ができなくなっても,オーバーレイによる到達性,つまり外部からのIPv6のパケットを別のプロトコルでくるむ手法を使えば,NGNの閉域網の外部との接続性は確保できる.NTT東西のNGNでも,IPv4についてはPPPoEで接続性を確保することになると,仕様書になるであろう認可申請のための技術文書には書いてある.この方法がIPv6に対してもベストであるとは私は思わない*6が,不可能ではない.
マルチプレフィクス方式が技術的に難しいのは事実だが,現実にはプロバイダ独立のアドレス空間もIPv6では使われることが決定している以上,いつかは通らなければならなくなる道だと思う.仮にそのレベルの経路制御に対応できない,というのであれば,何のためのNGNなのか,あるいはIPv6インターネットなのか,利点が見えなくなってしまうだろう.
同様のアドレス空間処理に関する問題は,マルチキャストグループへの参加や脱退などでも起こる.NGNの閉域網の中でIPTVなどのストリーミングを行う際はこの処理は不可欠になると思うが,このことをNGNの運用者はどう考えているのかは,非常に気になる.
*5:法律など技術的な理由以外による制限でネットワークの直接接続が禁じられている場合もあり得るだろう.
*6:ネイティブ接続できればその方がオーバヘッドが減る分パケットロスなどは減って信頼性は上がるだろうと考える.

 

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